時間をはずした日の祭り賛同文


第43回グラミー賞受賞 喜多郎さんから
参加と呼びかけのメッセージ
音という目に見えないかもしれない波動を通して、平和への思いを地球全体に、伝えたいと思う。

音楽家が何ができるのか、
祭りの中で、コンサートの中で生まれる、時間から解き放たれた状態。
それを世界中に生み出し、アーチストの「思い」が空間を越えて結びつく。
そんな「祭り」で、地球を包みたい。

2002年7月25日、「時間をはずした日」に、
アメリカでは満月の日に、
私は、日本の東京の池上本門寺というお寺で、
平和への強い思いを込め、「祭り」を生み出したいと思います。

昨年の9月11日以来、
戦争よりも、アートを通して世界がひとつになる。
満月を見ながら、同じひとつの月を見ながら、
そんなイマジネーションを世界中のアーチストと共有したいと強く思います。

7月25日「時間をはずした日」に、
20世紀という時間をはずし、あるべき21世紀を生み出す「思い」で、
地球上に、「祭り」を。

平和への「思い」で、一緒に、地球を包み込む。
そんなコンサートを世界中の友人が、アーチストが
生み出してくれることを願います。

喜多郎 


<湯川れい子さんからの呼びかけのメッセージ>
「時間をはずした日の祭り」は、大自然、月の運行、と呼応した、
 まさに天地人一体となった、壮大な祭りのコンセプトです。

政治を「まつりごと」といって、祭政一致という言葉が今も残っているように、
昔、政治はお祭りと一体となっていました。それを、とても原始的な、無知ゆえに存在したこと、といって切り捨ててしまっていいものかどうか。今、様々な角度から見直しが始まっています。

果たして「祭り」とは何だったのか。祭りを失ってしまうことによって、私たちが得た物と失った物は何だったのか。世界保険機構(WHO)は、1999年になって、「健康」という定義の中に、従来の「身体的」「社会的」「精神的」なバランスに加えて、「スピリチャリティ」という言葉を付け加えたことで、日本でも議論を呼びましたが、私は、この「スピリチャリティ」という認識こそが、21世紀への鍵であり、「祭り」とは切っても切り離せないものだと考えています。

「時間をはずした祭り」は、大自然、月の運行、潮の満干と呼応した、まさに天地人一体となった、壮大な祭りのコンセプトです。
21世紀は、医学の世界でも、ひとつひとつの臓器が持つ健康性ではなく、「身体」という小宇宙の中の、ホリスティックな「場」のエネルギーに注目が集まる時代になるだろうと見ています。
もし祭りというものに、まだ前近代的な疑念を持っていらっしゃる方がいたら、ぜひご自身の身体を使って、祭りに参加してみて下さい。きっと何かが変わることでしょう。そしてきっと今よりも、人生が楽しく、未来が明るいものに違いありません。

ね、一緒に、踊ろ!

湯川れい子