来宮神社に、初詣に 2000年の大楠と、古老の魂と交流。

来宮神社に、初詣に

2000年の大楠と、古老の魂と交流。

来宮神社

願い と 祈り

初詣は、新しい年を迎える儀式として、
日常の時間を離れ、日常の空間を離れ、神社や仏閣に詣でて
宇宙の本質と心の本質に触れるための日本人の所作です。

そのとき、地球が見えたら、地球上のすべての人の姿が見えたら、
環境破壊が見えたら、宇宙が観えたら、
自然の有機的秩序を観じたなら、
自分のためだけのご利益という概念は消失していきます。
エゴの願いは自動的に、人のため、社会のため、自然のため、
地球のため、宇宙のための願いに変わり始めます。

自分のためだけの願いは、「祈り」に変わっていきます。

来宮神社 初詣

「願い」と、「祈り」の違い

「祈り」とは(意 + 乗り)。

自分のためだけの願いに対して、

多くの人が、賛成できる(乗れる)、願い(意)、思い、考え。

神様も(乗れる)願いを、「祈り」だと考えます。

本来は、「願い」と「祈り」は、同じだったのだと思います。

「願い」は、エゴのための願い、排他的な願いに、転がりがちなのです。

「願い」を「祈り」に、と呼びかけているのは、

自分のためだけの「願い」と、「祈り」を明確に区別するためです。

自分のためだけの「願い」は、競争社会を生み出します。

競争社会では、他の会社に勝つために、

相手を叩きのめす、相手を蹴落とすためのエゴの願い、排他的な発想が生まれがちになるのです。

それは、勝ちたいという「願い」であっても、「祈り」とは本質的に違うものです。

来宮神社 大楠