Feel The Fuji Fesitival』 直後のアーチスト・インタビュー


鬼太鼓座
山根 麻衣
松居 慶子
ラブノーツ
増田 いずみ
Toshi小島

 


鬼太鼓座

その場にいる人のパワーが交錯する空間
“祭り”をこれからも共有していきたい


 
Feel the Fuji Festival で7月 24 ・ 25 日の両日に出演した富士の山鬼太鼓座。彼らは〈祭り開き〉と〈時間をはずした日のお開き〉をともに務めました。文字どおり全身全霊を込めた力強い演奏が富士の大地と天空を震わせることで、地球のすべてを共振させたような気がします。この太鼓という楽器が人間の肉体と魂をともに高揚させる特別なヴァイブレーションを放つのは、心臓が脈打つ音と通ずるところがあるからでしょうか。富士の山鬼太鼓座の代表である松田惺山(まつだせいざん)さんに聞きました。
松田 
「太鼓というのは叩けば誰でも音が出るという、非常に単純な楽器です。とくに和太鼓の場合は複雑な技術や音楽理論よりも、音に気持ちをどう込めるかということが重要。それだけに一発一発にどんな思いを注ぐかで、その表現も違ってくるわけです。 Feel the Fuji Festival では、 1 日目は『 13 の月の暦』の 1 年の締めくくりということで、当然“区切り”というものを意識して叩いています。そして 2 日目は“時間をはずした日”、時間というものから開放される日ですよね。とにかく堅いコト考えずに弾けちゃおうよ(笑)、といった感じで叩いています。それと鬼太鼓座の太鼓には創立当初より“戦争はやめろ”というメッセージが常に込められていますから、そういった思いも表現されています」
 
1969 年に結成された鬼太鼓座は、 75 年、アメリカのボストンマラソンで完走後、そのまま舞台に駆け登って大太鼓を演奏するという衝撃的なデビュー以来、いまも走り続けています。そのベースにあるのは“「走る」ことと「音楽」とは一体であり、それは人生のドラマとエネルギーの反映だ”という独自の「走楽論」。 90 〜 93 年にかけては各地で公演しながら、全米 1 万 4910km を走破するという「完走公演」も成し遂げるなど、和太鼓と走りを通じて世界中で活躍してきました。そんな彼らの拠点は日本の象徴である富士山。まさに Feel the Fuji Festival には不可欠な存在といえるでしょう。
松田 
座員はみな、富士山のふもとで合宿生活をしているんです。鬼太鼓座は個人ではなく集団ですから、その力を発揮するためにはチームワークが必要になってくるんですね。座員によって技術レベルの違いは当然あります。それをお互いに補い、支えあうことで集団としてのパワーを最大限に発揮するわけです。その点では、通常の音楽アンサンブルとは少し違いますよね。どちらかというと体育会的なチームワークに近いでしょうか。チームとして富士を感じながら富士の裾野で稽古し、世界に向かって日本の文化を発信していこうと。おかげさまで富士を中心とした地元の祭りやイベントにも数多く出演することができ、だいぶ地元に定着してきました。富士の地にようやく根を生やせたなといったところですね。 2004 年はちょうど鬼太鼓座創立 35 周年ということで、ボストンマラソンにも参加。全員完走して、ゴール地点で太鼓を叩いてきましたよ。もうデビュー以来、ずっと走り続けていますね。今回の Feel the Fuji Festival のちょうど 1 年前、 2003 年の 7 月 25 日には太鼓を担いで富士山にも登りました。鬼太鼓座の創立者である田耕 ( でん たがやす ) が 3 年前に亡くなったとき、“富士山、富士山”と言って死んでいったんです。彼の遺志を継ぐ以上は、やはり富士山の山頂で祈りを捧げるべきだということで、座員全員で太鼓を担いで登り、浅間神社で叩きました。昔の人は富士山に登るときは必ず海で禊(みそぎ)をしたうえで、そのときの海岸の石を富士塚に納め、旅の無事を祈ってから田子の浦を出たそうです。われわれもまた同じように海で禊をして、海抜ゼロからスタート。海から五合目までは約 50km 。 1 日目に大体 30km 走って、 2 日目にはかなり登りがキツくなるのでゆっくり目に 20km 走ってね。そして 3 日目に山頂まで登るんです。このときは柳瀬さんも一緒でしたよ。“時間をはずした日”のことを聞いたのも、このときでしたね
 
7月 25 日は〈時間をはずした日のお開き〉として演奏する前に Feel the Fuji Festival 会場のある富士山を一旦降り、富士市の“祭り”でも叩いてきました。鬼太鼓座ならではのパワフルなダブルヘッダーといえます。
松田 

Feel the Fuji の会場とちがって富士市は暑かったですねぇ。屋台なんて真っ黒ですから、炎天下の中にちょっと置いておくだけで火傷するぐらい熱くなります。上に乗った瞬間に水ぶくれになるぐらい(笑)。でも“祭り”って特殊な空間だし、みんな楽しみに見に来ているわけですから、そんなこと言ってられないじゃないですか。それに集まった人たちの間には、そんなことを感じさせないほどの熱気があります。何よりもそれこそが“祭り”の醍醐味ですよね。 Feel the Fuji Festival も同じく“祭り”。コンサートという形態をとってはいますが、お客さんがチケットを買ってミュージシャンが演奏して、といった従来のような対価交換的な関係ではなく、お客さんと演奏する側の垣根のない、その場にいるすべての人のパワーがお互いに交錯することで生まれる空間といったらいいでしょうか。 2004 年の7月 24 ・ 25 日はちょうど土日にあたりましたが、曜日に開催日が左右される“イベント”とは異なるものとして、これからも毎年7月 25 日という日に富士山のふもとで、そんな“祭り”を共有していければなって思いますね



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山根 麻衣

いま私たちの意識をいちばん
縛ってるのは時間の観念だと思う

 

ストイックで静的なスピリチュアリティと生命感あふれるエネルギッシュな躍動感。山根麻以さんのステージには、そのどちらもが同居しています。 Feel the Fuji Festival で 1 日目のトリを務めた彼女は、その類まれなカリスマ性と完成度の高い音楽性で、会場にいたすべての人(彼女目当ての人も、そうでない人も)のココロをグイッと掴み、カラダを揺り動かしました。

山根 
私たちのライブには小さなお子さんを連れてくるようなお客さんも結構いるんだけど、子供たちって自由じゃない。もう好き放題、興味のおもむくままにステージに上がってきて、飛んだり跳ねたりデングリ返ししたりしてるの。子供の頃って枠がなくてさ、何かをやってはいけないだとか、コレをやったら変だとか考えたことなかったでしょ。自分がやりたいことを純粋な心のまま、そのモチベーションのままやってたじゃない。そしてそれは愛に基づいているから、人を傷つけるようなこともしなかったでしょ? 逆にあんまり純粋すぎて自分が傷ついちゃうことはあってもね。どんな人のココロにも、そういう子供の頃の純粋な気持ちって必ず生き続けてるんだよね。ひとりひとりの中にね。私はそういう部分をみんなと共有したいし、共鳴したいわけ。そこはとても自由だし、ものすごく喜びにあふれているし、それに創造的でさ、何もかもが自由な世界なんだよね。そのリアリティを New Archaic Smile のメンバーたちと一緒に音の中に表現して、ステージを見に来た人や CD を買ってくれる人たちと共有したいし、一緒に創り上げていきたいっていつも思ってる。それこそが私たちの目的なんだよね。私はそれが何よりも好きだし、楽しい(笑)!
Feel the Fuji のステージでとりわけ印象深かったのは、『よろこびの唄』が演奏されたときのこと。ベートーベンの第九『歓喜の歌』を4つ打ちのリズムに乗せて歌う、彼女のライブではお馴染みのナンバーなのですが、この曲にあわせて踊っていた人たちがみな手に手を取りあって、会場には大きな輪がいくつもできたのです。最初はステージ近くで小さな子供とお母さんが手をつないでクルクル回っていたのですが、誰が指示したわけでもなく、それがいつのまにか大きくなって……。それは、まさしく“調和”としか言いようのない素晴らしい光景でした。
山根 
『よろこびの唄』のときさ、何も言わないのにすっごい大きな輪ができてたよね。まわってたよね、あっちでも、こっちでも。クルクルクルクルさ。もう最高じゃない! アレだよね、アレが好きなの。あの瞬間のために音楽をやっているようなもの !!
あのとき会場を包んだようなポジティブなヴァイブスが人々の中から自然に湧き上がってくるのなら、世界はまだまだ大丈夫。誰もが、そんなことを思わずにはいられなかったのではないでしょうか。また、この日は新曲となる『祈りの唄』も披露。誰でもスグ一緒に口ずさめるシンプルな楽曲ですが、その思い入れは大変深いようです。
山根 
自分にとっての“祈り”って何だろうって考えたとき、まず自分が本当の意味で完全に満たされて、完全に何もかも、こう、幸せの……言葉じゃ上手く言えないんだけどね(笑)、要するに裸の自分になって、何も気にしない自分のままでいられる“よろこび”っていうのを唄ったり踊ったり……、それは何かをつくるとかそういうことじゃなくて、空が青いからうれしくて踊るとか、海が広くて素敵だから踊るとか、自分と自然の中での呼応っていうか。そういう中で、まず自分が気持ちよくなって自然の美と一体化、同化していくことこそが本当の“祈り”なんじゃないかって思ったのね。世の中を見回すとマイナスな要素っていうのもいっぱいあるけれど、どこを見るかだと思うんだよね。人によって見てる場所はちがうはずだし、より多くの人たちが地球の美しさを感じたり、人間の美しさに感動したり、そういう世界を感じることがリアリティをつくることなんじゃないかってね。そんな風に感じられる人がたくさん増えることで、この三次元の現実みたいに、その次元のリアリティというのが確固としたものになると思うわけ。イメージしてることや考えてることは、各々別々でもいいの。だけど、たとえばひとつの曲でそれぞれをツナイで一緒に“祈り”の気持ちとして具現化することはできないだろうかって思ったのね。そうして『祈りの唄』ができあがったわけ。ぜひ、みんなでおぼえて唄ってほしい。そして裸のままの自分に戻って一緒に歌えるようなコンサートを、これからどんどんやっていきたいって思う

 麻以さんが語る“世の中を見回すとマイナス要素はたくさんあるけど、どこを見るか”というのは、非常に真理をついています。ステージでは別の言葉でこれを表現していました。コンサート当日は曇天で、富士山も太陽も厚い雲の向こうに隠れてしまっていたのですが、彼女は MC で「思い出して欲しい。たとえ曇っていても、あの雲の向こうには太陽がいつもいて、私たちを照らしてくれていることを」と語っています。7月 24 日という、『 13 の月の暦』のひとつのサイクルが閉じ、次へと向かうタイミングに大変相応しいメッセージだといえます。そんな麻以さんは“時間をはずした日”を、どのように感じているのでしょう。

山根 
“時間をはずした日”っていうのは、つまりみんなが自由になる日。私の場合は、いつでも時間がはずれちゃってるけどね(笑)。とはいっても時間という概念自体が、そもそも幻想。いま私たちの意識をいちばん縛ってるのは時間の観念だと思う。だからみんな死を恐れて、いろいろな問題が出てくる。でも本当に楽しいことをやっているときって、時間のこと忘れてるでしょ。チッチッチッチッって動いてる? 人間って実は、自分の感覚的な時間、内側の時計を感じていることのほうが、時計の針が刻む時間を見てるときよりも多いんだよね。それに時間をはずしているとき、時間の感覚がないときって、決まってうれしかったり楽しかったり、満たされているときでしょ。無我夢中になっているというか、ポジティブかどうかさえ考えないようなときじゃない。そういう意味でも、時間の観念に縛られないで生きるって大切なことだと思うんだ。そういう人が増えれば、もっともっと世界は変わっていくはず。そして私たちが住んでいる星はこんなに美しいんだから、それを感じまくってハッピーになって、夢中で生き切りたいって思う。それが私の平和への“祈り”。そして常に“まんま”の自分でいて、たくさんの人たちとそれを共鳴しあえれば最高だよね

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松居 慶子


雨の中、いままさに自然に対して
音楽を捧げているんだなって実感

 

Feel the Fuji Festival の松居さんのステージは、降りしきる雨の中でスタートしました。とはいえこの日、訪れた人の中には彼女目当ての方も多いようで、誰ひとり会場をあとにしようとする姿はありません。当の松居さん本人も、雨の中での演奏をむしろ楽しんでいるようです。雨脚が断続的に強くなったり弱くなったりを繰り返す中、ついには機材トラブルで一時演奏中断といった事態まで発生。しかしスグに復活して、演奏は最後まで行うことができました。

松居 
野外コンサートは結構やっていますが、さすがにここまで雨に降られたことはありませんね。私たちは電子楽器を使うので、雨が降ると感電の危険性があるということで、結構注意するんです。とはいっても私の場合はいつも大丈夫、大丈夫って感じで“舞台の上で死ねたら本望だ”ぐらいにしか思ってないんですけれど、今回の雨では演奏者よりも機材のほうがダウンしちゃいましたね。でも応急処置で最後まで弾けたのは本当によかった。まぁトラブルもありましたけど、私にとっては“恵みの雨”という気がすごくしたんです。だから、ほかのスタッフやメンバーはみんな必死だというのに、雨が降り出してきたときは思わず楽しくなっちゃって(笑)。半端な降られ方じゃないかったし、正直、雨粒は刺すように痛かったりもしたんですが、それもまた自然が私たちに何かを語りかけているように思えて。実際、雨がやむたびに感謝しながら弾いてましたから、地球を肌で感じながら、いままさに自然に対して音楽を捧げているんだなって実感できました。いつも演奏している曲も、これまでとはちがった気持ちで弾くことができたし
 

Feel the Fuji Festival 開催以前の対談では、このような特別な意味のある“祭り”で演奏することをとても楽しみにしていた松居さんです。“時間をはずした日の祭り”としては、どのような感想をもったのでしょう。

松居 
以前、メキシコのマヤの遺跡に行ったときにも同じような感想をもったんですが、 Feel the Fuji のステージは、まさに“いまこの空間だけ、宇宙の中からポンとくり抜かれて今日という日がある”みたいな、すごく不思議な感覚でした。“恵みの雨”だと感じたり、雨天が楽しくなったりしたのは、そのせいかもしれませんね。後ろにそびえる富士山の存在がひしひしと感じられたということもあってか、すべてに意味があるはずだと思っていまいました。演奏中に鍵盤の上についた雨の水滴にも意味を感じてしまったり。私のデビューアルバムが『 A Drop of Water (水滴)』というんです。“時間をはずした日の祭り”を通して目の前にあるすべてとシンクロし、ツナガレた感じがしましたね

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ラブノーツ


しわかみの こころほつまとなるときに
はなさくみよの はるやきぬらん

 

  ジャズを中心にボサノバやハワイアンなど、フォーマットにこだわらないさまざまなスタイルでパフォーマンスするラブノーツ。“時間をはずした日”を唄った『 The Day Out Of Time 』をはじめ、独特の洗練された楽曲を通してスピリチュアルなメッセージを送り続ける彼らが、 Feel the Fuji Festival のステージ上から一緒に唄って欲しいと呼びかけたのが、『 All As One 』でした。英詩で唄われるこの曲のサビ部分は“こころ ほつまなる はなさく みよ”という何とも耳ざわりのよい美しい日本語。トランペット&ヴォーカルのヒロ川島さんとヴォーカル&フラを担当する“マギー”こと井上真紀さんが、その日本語に込められた意味を教えてくれました。

ヒロ 
“こころ ほつまなる はなさく みよ”というのは、『しわかみの こころほつまとなるときに はなさくみよの はるやきぬらん』という古い和歌からとったものです。その意味は“光の国の 心が本当のまことになったときに 花咲く美しい春がやってきますよ”という、ある種の預言ですよね。 1500 年以上前に日本で書かれ、『古事記』や『日本書紀』の原典になったといわれる『ホツマツタエ』――漢字で書くと“秀真伝”、本当の真(まこと)を伝える、の意味――という書物があります。“ヲシテ” と呼ばれるひらがなの元になった古代文字で記されているんですが、これがすべて五・七・五の歌で詠まれているという、それはそれは美しい書物なんです。そもそも僕たちが、この『ホツマツタエ』の存在を知ったのは、いわば偶然が偶然を呼んだシンクロから。しかしその内容を知るにつれ、ぜひ曲にしたいと思うようになったんですよ。そこでこれを現代語に訳した先生に、『ホツマツタエ』やそれにまつわるものの中から何かよい言葉を提案していただけませんかとお願いしたところ、快く引き受けてくれて『しわかみの こころほつまとなるときに はなさくみよの はるやきぬらん』という歌を薦めていただいたわけです。実はこれ、『ホツマツタエ』の中に出てくる言葉ではなく編纂者である詩人が詠んだ句で、当時の景行天皇に『ホツマツタエ』と一緒に献上されたもの。つまりこの句には『ホツマツタエ』すべてのテーマやメッセージが込められているのです
マギー
当時は、常にそうやって歌を詠みながらコミュニケーションをとっていた、とても優雅な時代だったんですね。『ホツマツタエ』って、人はどうあるべきかといったことなどを歌に詠みながら伝えた、本当に美しいメッセージ集だと思う。そこに書かれたとおりに生きることができたら、一切の苦しみがこの世から消えて、人類だけではなく、動物も植物もすべてが生き生きと自分の運命をまっとうできる世の中になるはずだ、っていう。『しわかみの こころほつまとなるときに はなさくみよの はるやきぬらん』という句も、そのような思いを込めて詠まれたんじゃないでしょうか
ヒロ
我々はみな、ひとつの真実に基づいた大きな流れの中で生きてきているんだと思うんですよ。ものすごく長大な流れの中で。そしてそれぞれの人の心の中には、人類が本来あるべき姿みたいな概念が潜在的にあるはずなんです。それがこれまで封印されたままになってきてしまっている。先ほど“偶然が偶然を呼んだ”という言い方をしましたが、そもそも“偶然”という言葉自体がシンクロを意味しているという事実をみんな忘れてしまっているんです。“偶”という文字は偶数の“偶”、つまり“偶然”とは本来“ふたつのものの然るべき状態”を指すんですね
マギー
これ、英語でも同じなんですよ。偶然を表す“ coincident ”という言葉は、“ co ”=お互いの、つまりふたつの、“ insident ”=状況、出来事となります
ヒロ
ということは、“偶然”とはもともと“ふたりの間の必然”、いいかえればシンクロを意味することになりますよね
マギー
これまで私たちは、どこかでバッタリ会うようなことを“偶然”と呼んできましたが、実はそれは必然であるということが言葉には既に表されていたんですよ。何の脈略もなくふたりがその場所で会うなんてあり得ないということを知らないのは、ひょっとして現代人だけなのかもしれません
ヒロ

言葉には真理がしっかり含まれているんですね。たとえば日本語に“災い転じて福となす”という慣用句がありますが、これは災いがひっくり返って福となる、つまり災いと福とは表裏一体の関係である、ということですよね。一方、英語で“悪”を意味する“ EVIL ”という単語があります。これを逆さまから詠むと“ LIVE ”=生きる、ですよね。つまり生きることと悪とは表裏一体の関係ということが、ちゃんと表されているわけです。そんなことも含め、我々はいま本来あったものを取り戻すべき時期に来てるんじゃないかって、僕は強烈に感じています


対立して存在していたものを
融合した存在としてとらえる時代に

  なるほど私たちは忘れてしまっているけれど、普段何気なく使っている言葉の成り立ち自体に、そもそも真理が含まれていたわけです。シンクロが当たり前だということを、昔の人は知っていたんでしょう。

マギー
それに気づいたら、より積極的に自分の興味がおもむくものを追求することが大切です。そして本当に自分がしたいことをする。それってすなわちクリエイトすることだと思うんです。物事を無意味に進めているだけでは本来の意味での偶然というのは起きにくいけど、何かをクリエイトしているときやアートしているときって、いろいろシンクロしやすくなると思いませんか。それはアートという行為そのものが、自分以外のもっとほかの何かとツナガッた中で行われているからだと思う。アートというと絵を描くとかモノをつくるとか、特定の技術が必要だと思われがちだけど、そうではないんです。本当に自分がしたいことをして生きることこそがアートであり、クリエイトなんです。好きではない仕事をしてストレスを貯める人もいますが、それはつまりその人が本当に求めているところはそこではないっていうこと。客観的に見ると、そんな気がします
ヒロ
正しいとか間違っているとか、よいか悪いかってことではなく、自分の美的価値観、自分にとって美しいか美しくないかっていうところで生きることですよね。たとえばグレゴリオ暦で生活しながら『 13 の月の暦』を意識して生きることと同じように、一方がよくて、もう一方が悪いという価値観ではなく、ふたつのことを自分の中にパラレルに置いたうえで、それが自分にとって美しいといえる行為なのかを判断していくわけです。それって難しいことではないと思う。実際、マヤの人たちは 17 もの暦を使って暮らしていたわけですし。よく“自分には感性がないから”なんていう人がいますが、感性や美的価値観というのは育てるものなんですよ。いろいろな美しいものを見たり触れたりすることによって、その人の美的価値観はどんどん成長し、大きくなっていきます。だから人生を通して美的価値観を育てていくっていうことは、これからのひとつの課題だと思う。これまでのように YES か NO かではなく、自分の心の中で対立して存在していたものを融合した存在としてとらえる時代になれば、世界はずいぶん変わるはずですよね


演る側と観客という関係ではなく、
みんなで体験できる空間をつくりたかった

 ほかの出演者たちがそうであったように、 Feel the Fuji Festival への参加はラブノーツにとってもシンクロそのものだったそうです。以前より『 13 の月の暦』を使っている彼らにとって、“時間をはずした日”は曲までつくっているくらい特別な存在。ステージにかける思いも格別のものがあったようです。

マギー
Feel the Fuji のステージに立ったとき、まわりの山、木、植物といった大自然や、いまは目に見えないけれどかつてそこにいた人たち、またそこで行われた出来事を感じることができて、何ともいえない高揚感をおぼえました。私は普段わりと神経質にモニターチェックをするほうなんですが、今回は PA に関してはまったく気になりませんでしたね。外に鳴っている音がそのまま耳に聞こえてくれば別にいいやって感じで。演る側のパフォーマンスとそれを見る観客という関係ではなく、みんなで一緒に体験できる空間をつくりたいなって思ってたんです。“時間をはずした日”や『 13 の月の暦』を多くの人に知ってもらうキッカケにもなるし。フラを踊ってくれた踊り手たちも、みなさん、ちゃんと Feel the Fuji の趣旨を理解したうえで賛同して来てくれているんですよ。最後に演った『 All As One 』では、この日のステージのために初めて振り付けをしたんですが、踊り手が多ければ多いほど、また“こころ ほつまなる はなさく みよ”のリリックを口ずさむ人が多ければ多いほど、知らないところで何かが動き出しそうな気がしてなりませんでした。“時間をはずした日”というタイミングと富士という場所は、それをみんなで試してみるのに最も相応しい機会だと思いましたね。その意味でも、 Feel the Fuji Festival はあらゆる点で理想的な状況だったといえます。前回、“時間をはずした日の祭り”に参加させていただいたのが 1999 年。それから何年かブランクがあったんですが、ある日、瞑想していたら“今年の 7 月 25 日には何かしなくては”という思いがパッと浮かんだんですよ。 2004 年の“時間をはずした日”はとても大事な日のような気がするって。だからどのようなカタチにせよ、同じような考えを共有する人たちがひとつに集まって、歌ったり踊ったりしてお祝いできればって思ってたんです。で、ヒロ川島と、じゃあ場所はどこがいいだろう? って話していたところに、ちょうど Feel the Fuji に出ませんかっていう電話がかかってきて。しかも場所は富士山。これ以上に相応しい場所はないと思いましたね。私自身、ハワイの文化と日本の文化に共通する部分を見出していたからです。フラやハワイアンで最も大切なのはアロハスピリット。それはひとことでいうと“愛”ということになるんですが、これを追求していくと自然に対するひとつの価値観に行き当たります。日本の神道と同じく、ハワイでも自分たちの生活は海の神様、山の神様、動物の神様、火の神様といった自然の神様に守られて成り立っていると考えられているんです。それはフラの踊りの中にも色濃く反映されています。私たちは、こうした現代では忘れられてしまっている大切な部分に惹かれてフラやハワイアンをやっているわけですが、それって『ホツマツタエ』に書かれていることとピッタリ一致するんですよね。そこで今度は『ホツマツタエ』に興味をもって調べてみると、日本にも“手振り(てぶり)”という巫女さんがご神事の中で行う動作があることがわかりました。ところが、これがフラと似ているんです。ハワイの自然や文化が、 DNA に刻まれた“ホツマの心”ともいえる日本人のルーツへと、非常にわかりやすい形で私たちをガイドしてくれたような気がしました。いま日本ではフラがすごく流行っています。この流行は世界的なものらしいんですが、これほどまでに他文化であるフラを踊ったり、躍りたいと思う人が多いのは日本ぐらい。それは異国文化への憧れというよりも、日本人はフラの中にどこか懐かしさを感じているからのではないかと私は思います。ステージでも演りましたが、フラにはふたつの石を叩いてカチッと鳴らす踊りがあるんです。これを初めて自分でやったとき、ものすごい懐かしい感覚に包まれたのをよく覚えています。アトランティスのヴィジョンを見たというヒーラーさんが、そのヴィジョンの中で女性がこういう踊りをしていたと言って真似て見せてくれたんですが、それがまたフラによく似てるんですよ。アトランティスよりさらに古い時代には世界はツナガッていたそうですから、日本もハワイもすべてがひとつの文明として同じような踊りや歌があったとしても不思議ではありませんよね。ハワイ語で海のことを“カイ”っていうし 。
ヒロ

もともとはみんな一緒だったわけじゃないですか。それがどんどん細胞分裂のように分離してしまって、宗教が生まれ、国家が生まれ、いまの時代を迎えている。でも人間ひとりひとりに実際会ってみたら、それぞれイイ人たちばかりだと思うんですよ。ところが集団となりコミュニティとなると、いさかいや戦争が生まれてしまう。イラク戦争だって、お互いに“正義のために”戦って、それで人が死ぬなんて、非常にバカバカしいことですよね。家族が殺されれば相手を殺したくなるというのも、ある考え方では当たり前かもしれません。善悪だけで判断していたら、そういう結論になることもあるでしょう。しかしもっと客観的に、美しいか美しくないのかっていう目で見てみれば、自然と怒りも癒えてくるはずだし、何てバカなことをしてしまったんだろうって思えるようになるはず。そしてそういう時代はスグ近くにまで来ているような気がします。僕はいつもライブをやるたびに“これが始まり”だと思うんですが、『 13 の月の暦』で言えば“時間をはずした日”を境に、まさしく新しい年がスタートします。そのタイミングにあわせて、みんなで新しい歴史をつくっていければって思いますよね。

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増田 いずみ

求められて唄うという場が
あったことがすごく嬉しかった

オペラは劇場で唄われることがほとんどで、野外コンサートはあっても、今回の Feel the Fuji Festival のような生の自然の中で唄われるケースはあまりありません。増田いずみさん自身にとっても初めての経験だったようです。それは会場で実際に彼女の声に触れた多くの人たちにとっても同様だったでしょう。 Feel the Fuji Festival のステージはけっして大きいものではありません。しかし目前に雄大な山々が迫り、巨大な富士山を背景にした自然と地続きのステージは、コンクリートに囲まれた都会のホールとは異なり、まさしく地球そのものといってもいいでしょう。遮蔽物が一切ない永遠に広がる空間の中で、増田さんの透明感あるビロードの声もまた宇宙全体に広がっていきました。様式的でかしこまったクラシック音楽ではなく、ポップオペラという彼女ならではの普段着のオペラとして。

増田
これまで歌を唄うということは、私にとって自分を磨くような意味合いが強かったんですが、今回のライブは、何かこう、宇宙的な視点というか、唄うことが生きることそのものと直接つながったような気がして、どこか時間が止まったような、すごく不思議な感覚でした。いつものコンサートは、会場があってそこにお客さんが集まっていることが当然でしょ? お客さんはお金を払ってチケットを買って、ライブを見るという目的で集まっているわけです。それに対して私は唄うという、どこか経済システムにのっとった対価交換的な側面ってどうしてもあると思うんです。それが良い悪いではなく。ところが今回はお客さんのために唄うというよりは、自分が自分自身をもう一度見直すために唄うという感覚がすごく強かった。山の中で唄うということ自体、初めての経験だし、風は吹いてるし(笑)。でも“生きるってこんなことじゃん”みたいな感じがしましたね。人類の歴史を歌というものが生まれた頃まで遡ってみると、きっと当時はこのような環境で唄ってたんだろうなって思います。そういう意味ではすごく神聖な感じがしました。大きな山を目の前にすることで、自然や宇宙の叡智みたいなものに触れられというか。なかなかできない素晴らしい体験でしたね。
Feel the Fuji Festival とは「富士山を感じる心を取り戻す」というコンセプトが前面に出ていますが、その大前提としてホゼ・アグエイアス氏の提唱する『 13 の月の暦』の中の“時間をはずした日”の祝祭としての意味があります。『 13 の月の暦』は月のリズムを取り入れた、自然と調和したシンプルな暦。この“月”には増田さんとしてもシンクロする部分があったようです。
増田
私は“月”が好きで、“月”に関する歌もたくさん書いてます。でも実のところ、『 13 の月の暦』のような“月の暦”が日本人にも使われているなんてことは知らなかったんです。海外には私たちが親しんでいる通常の暦ではなく、“月”のリズムによる暦を使っている人たちがまだたくさんいるらしいですよね。だから日本にもこうした“月”のサイクルを取り入れた文化があったという事実が、私としてはすごく嬉しかったですね。唄うっていうことと日本人のサイクルがつながるというか、心と自然がつながるというか。そして何よりも求められて唄うという場があったことがすごく嬉しかった。歌というのはもともと祝祭の中で神様を呼ぶために唄われたもの。そもそも求められて唄うものだったんだと思うんです。それに昔ながらのオマツリゴトがすごく好きな小学生だったこともあって(笑)、 Feel the Fuji Festival という月の暦にのっとった“祭り”で唄えたことは、素直に嬉しかった。ステージも大自然の中。こういった自然とつながった場で唄うことで、自分の中のサイクルが変わって、新しい感覚が芽生えてきて、何かこう、生きるのが楽しくなってきました。“祭り”といえば、 Feel the Fuji Festival と同じ7月 24 、 25 日は、大阪でも天神祭りが行われていますよね。少し前には京都祇園祭も行われたばかりだし。同じタイミングで日本中が盛り上がってるっていうのも面白いですよね。

2004 年の7月 24 、 25 日には、ほかにも富士山五合目でご来光とともに参加者全員で瞑想して世界の平和を祈るセレモニー『思いやりの日』や、富士山山頂の鳥居を 12 年ごとに取り替える行事『岩淵鳥居講』なども行われています。またヨーロッパではカトリック最大の祭り『聖ヤ コブ祭』が開かれるほか、『 13 の月の暦』に賛同した人たちが“時間をはずした日の祭り”として世界中でパーティや“祭り”を開催。その数は大小合わせて 1000 近いともいわれています。

増田
同じ日に世界中が盛り上がってるんですね(笑) !!  これはすごいことだと思いますよ。 Feel the Fuji Festival は、その 1000 の“祭り”のうちのひとつということになるわけですね。“時間をはずした日”って無重力空間みたいなイメージがあって、本当に時間が止まってるって感じがしますよね。

 しかも場所は富士山。日本の聖地でもあります。月とシンクロした暦にまつわる“祭り”で「求められて」唄うことができたことが嬉しかったという増田さんですが、彼女にとって富士山とはどういう存在なのでしょう。

増田
私にとって富士山というのは、あくまでも自然の中のひとつであって、実はとくに強い思い入れがあるわけではないんです。どちらかというと銭湯の絵といったイメージのほうが強いかな(笑)。実家が鎌倉にあるんですが、いつも富士山が見えてましたから、もうそこにあって当たり前といった感覚なんですね。情景の中の一部としては見ていましたが、山としてのエネルギーを感じたことはありませんでした。でも実際にこの地に来て見ると、ステージの後ろに「いる」という実感がすごく伝わってきます。「ある」というより「いる」という感覚。何かそうした大きな存在を感じましたね。『 13 の月の暦』では7月 24 日で1年が終わるということですから、私たちはまさしくその富士山という聖地で7月 25 日の“時間をはずした日”を迎えるわけですよね。何だか日本人カッコイイって思っちゃいます(笑)。最近、私は文楽にハマってるんですが、 Feel the Fuji Festival でライブができたことで、こうした古典芸能などにも見られる日本人としての歴史とツナガルことができたという感じがしました。その意味でも今回のライブはとても貴重な体験だったと思います。

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Toshi小島


会場で火を囲んでの結婚式は
カン違いも含めてシンクロだった

全国で行われる“祭り”への出演や、ヒーリングコンサート、ディジュリドゥを使ったワークなどで日本全国をツアーする Toshi 小島さん。 Feel the Fuji Festival は、そんな彼にとっても非常に特別な意味をもつものだったようです。 Feel the Fuji Festival では、会場にいる誰もが同じ位置で参加・交流できる場として、7月 24 ・ 25 日の両日ともすべての出演者の演奏終了後に火を囲んでの“祭りの交流の時間”というのが設けられました。 Toshi さんが出演した 24 日には、この中で何と彼自身の結婚セレモニーが行われたのです。暗くなり始めた富士の地に鬼太鼓座のメンバーによる太鼓が鳴り、輪になった参加者たちの中央では火がパチパチと音を立てながら力強く燃え上がります。この日、彼らと初めて会った人たちも、まるで昔からの家族のように、 Toshi さんとパートナー・七海さんの新しい旅立ちを祝福しました。
Toshi
プロデューサーの柳瀬さんと初めて会ったのは 2004 年の2月頃なんですが、僕がいまのパートナーと出会ったのもちょうどその頃だったんです。柳瀬さんとはその後、僕が音開きをやらせていただいた5月のウエサク祭で再会。このときたまたま僕の結婚の話題になって、彼女の前の離婚の関係で入籍できるようになるのが7月 25 日なんです、なんて話したところ、だったらその日に富士で“祭り”を開くんで、出演しませんかって言うんですよ。その夜に火を囲んで結婚セレモニーもやりましょうって。信じられないような話でビックリしましたよ、さすがに(笑)。ほかにも僕たちのためにパーティをやってくれるっていう友達が何人かいたんですけど、どういうわけかすべてタイミングが合わなくてね。ところが Feel the Fuji Festival のほうは、トントン拍子に決まっちゃって。実は計算間違いで、実際には7月 22 日には入籍できたんですけどね。考えてみると、こんなカン違いも含めて、縁というかシンクロだよね。
  まるで7月 24 日に富士で結婚式を挙げることがあらかじめ決められていたかのように、二人は出会っているわけです。その視点から見れば、セレモニーに参加した人にとってもそれは同じ。 Toshi さんを知る人も知らない人も、この日に彼らを祝福することがあらかじめ決められていたかのように、会場に来たとも言えます。7月 24 日から翌日の“時間をはずした日”にかけて、いつもより強力なシンクロの法則が働いているような実感を感じずにはいられません。その意味でも大変特別な結婚式だったと言えるでしょう。
Toshi
ああいう形の結婚式をするとは思ってなかったし、やっぱり嬉しかったですね。富士山で結婚式っていうのもなかなかできないしね(笑)。本当にありがたいと思いました。だって普通、結婚式やパーティといえば招待されたから行く、みたいな部分てどうしてもあるでしょ? 断るのも何だし、みたいなさ。ところが今回はそういう“付き合い”的な要素が一切ないところで、みなさんに純粋に祝福していただいているわけですからね。しかも、その日に初めて会った人たちからも。みなさんには本当に心から感謝したいと思います。

 ライブでは小嶋さちほさんとも共演。一度、正式な形で一緒に演奏をしたいという思いはずっとあったようです。

Toshi
彼女のことは4年ぐらい前から知ってて、同じコジマ同士“コジマーズじゃん!”なんて言いながら、一回ちゃんと演りたいねって話してたんですよ。それも Feel the Fuji Festival で実現しちゃいました。彼女主催のイベントで飛び入りゲストみたいな形で共演したことはありましたけど、オフィシャルな形では今回が初めてだったんです。ほかにも Feel the Fuji Festival 出演者では、牧野潤さんや真砂秀明さんとはウエサク祭で会っているし、僕が総合司会も務めた(笑)某イベントでは山根麻以さんやラブノーツのヴォーカル&フラのマギーさんと同じステージに立ってます。マギーさんはクリスタルヒーリングをやっている僕のすごく親しい友人の大親友でもあるんですよ。川井郁子さんも僕の友達の友達。最近はもう本当にこんなのばっかりですよ。すべてツナガッテルっていうか。



Feel the Fuji Festival って
すべてがユルくていいよね

Toshi さんが主に使用する楽器は、オーストラリアの先住民アボリジニが精霊と交信するための道具として遥か太古の昔から使ってきた世界最古の木管楽器、ディジュリドゥ。この「シロアリによって空洞化されたユーカリでできた自然の産物」が奏でる、ヒトと大地と宇宙をダイレクトに結ぶかのような不思議な音には、五感を超えたあらゆる感覚を優しく包み込んでくれる“何か”があるようです。 Feel the Fuji Festival でも、時空を超越したようなトリップ感や、何とも心地よい癒しをおぼえた方は多いでしょう。
Toshi
ライブは気持ちよかったですね。僕がメインに使うのはディジュリドゥですけど、ライブでは歌も唄うし、今回は吹いてないけどネイティブアメリカンフルートも使います。笛とか歌に共通するのって“息”を使うということ。各地で演奏をしていると感じるんですが、この“息”をしやすい場所と、しにくい場所っていうのが不思議とあるんですよね。 Feel the Fuji Festival のステージはスッゴク息がしやすかった。呼吸が自然にできるというか。ステージの後ろに富士山があるっていうことはとくに意識しなかったけど、何か、ココは通り道って感じがする。海からの風が富士山を抜けて向こう側に行くっていうのかな。山梨県側にも同じようなポイントがあるんですよ。山根麻以さんと縁の深い例のピラミッドセンターがある辺りです。そこは富士山の裏鬼門にあたる通り道なんです。こういう場所で“時間をはずす”余裕ってすごく大事だと思いますよ。だからだと思うけど、 Feel the Fuji Festival って全体的にすべてがユルくていいよね。文化庁とか富士市とか教育委員会とか、協賛はカタイのに(笑)。何といっても静岡県がこういう“祭り”を主催してること自体が、スゴイことですよ。

 愛知県一宮出身の Toshi 小島さんは東京で生活した後、現在は倉敷に住んでいますが、静岡や富士には強い縁や結びつきを感じると言います。

Toshi
30 代の半ばに僕は一度結婚してるんですけど、その相手は河口湖の出身。 Feel the Fuji Festival 会場の富士を挟んだ向こう側にあたります。当時は反対の山梨県側の富士山をしょっちゅう見てたわけです。僕の出してる2枚の CD を録ったのも伊豆。親しい友人がスタジオを構えてるんです。富士山は見えないけど、伊豆といえば富士のすぐ下ですからね。3年ほど前には、静岡スタジアムで行われたオーストラリア代表対日本代表のサッカーの試合のオープニングでもディジュリドゥを演奏させていただきました。スタジアムだから音にディレイがかかっちゃって、演奏する側としてはもうワケわからなかったんだけど、吹き終わったら3万人がスタンディングオベーション! いい体験でしたねぇ。ちなみにそのとき『君が代』を唄ったのは野口五郎さんでした(笑)


かつて自然の一部だった人間は
“自然の恥部”になってしまった

Toshi
富士山って日本人にとって特別な存在って気がしますよね。いつでもクッキリ見えているわけじゃないということもあって、新幹線なんかから富士山がキレイに見えたときは、ラッキー! とかって思っちゃいません? 何かイイことありそう、みたいな(笑)。富士周辺だけでなく、東京からも見えるしね。富士見って地名もたくさんあるぐらいで。とくに意識してない人にとっても、知らず知らずのうちに富士山は特別な存在になってるんですよ。世界遺産になれなかったのは残念ですが。ゴミが多いのがその原因だという話を聞きますけど、それってすごくカッコ悪いよネ。富士山って世界中の人が知ってるだけに。“ゲイシャ、フジヤーマ、ハラキーリ”みたいな(笑)。富士山では不法投棄の現場や有力な手がかりを見つけて通報すると1万円もらえるそうですよ。そんなコトやらなきゃいけないってのも悲しいけどネ。会場へ向かうタクシーの中から見たけど、道路沿いの森の中がゴミ捨て場みたいになっちゃってる所も多いじゃないですか。木なんか枯れるちゃってるしさ。

  確かに麓から会場へ至る道沿いは、けっして美しい木々に囲まれた場所ばかりではありませんでした。紙くずや空き缶はもちろん、使われなくなった電化製品が投棄されている場合もあります。とても残念なことです。利便性を求めてスピードを加速させ続ける人類にとって、決定的な何かが欠けているような気がします。

Toshi
マヤ暦とか『 13 の月の暦』については僕も詳しくはないんだけど、“時間をはずした日”というような“余裕”をもつことがとにかく大事だと思うんですよ。“余裕”をもつことで、ゴミや環境に対する意識も変わってくると思うし。僕がいま住んでいる倉敷には、昔ながらの白壁の町並みを残した“美観地区”っていうのがあって、そこにはゴミひとつ落ちてない。ディズニーランドみたいにゴミを拾う係の人がいるらしいんですけど、逆にそれぐらいキレイだととても捨てる気になれないんですよね。富士山に限らず、もういいじゃん、自然を汚すのはって思う。開発だってもう十分やったじゃん。とはいってもいまさらゴミを出さない生活をしろったって、それは無理な話。原始の時代に戻れったって無理でしょ。だったらどうするか。単純な話、必要以上のコトをしないようにすればいいワケですよね。オーストラリアのアボリジニにはつい二百数十年前まで所有の概念がなくて、争いのない平和な生活を自然とともに営んでいました。おそらくかつては地球上すべてがそうだったと思うんです。とくに意識しないでも、人間は当たり前のこととして自然と共存していたんです。自然の一部としてね。ところがいまや人間は“自然の恥部”になってしまっている。自然はコントロールできるという馬鹿な幻想を抱いてしまった人間の愚かさですよね。壊してしまってもまた復活させればいいという考えもありますが、そういうコトじゃないだろって思う。確かにいずれは復活するんでしょう。でもそれには自然界の有機物が土に帰る何十倍、何百倍という、恐ろしく長い年月を要するわけです。日本って何か目先の利益ばかり追求して、大事なことを後回しにする傾向があるじゃないですか? 例えばドイツなんかは企業が環境保護にしっかり取り組んだりしてるでしょ。企業だから利益追求は当然するんだろうけど、必要以上に追求する必要はないわけで。日本人だって元々は環境のことを考えていた民族だったはずなんだからさ。僕はコンサートで全国へ行きますけど、田舎の人ってやっぱり都会化したがる傾向があるよね。確かに都会の便利な生活を見れば、それもわからないでもない。もうこうなったら都会に住んでる環境志向の人と、総取り替えするとかさ(笑)。僕もしばらく東京に住んでいましたが、 39 歳のとき“もうあかん”と思って一宮に帰ってきたっていう経緯があるからね

 なるほど確かに自然環境を守るのは最重要課題ですが、かといっていまさら生活の価値観をひっくり返すことはできません。問題は、人間が自然から遠くかけ離れた存在になりすぎてしまっていることにあると言えます。アボリジニの“自然とともに生きる”考え方を敬愛する Toshi さんは、地球上のバランスがいま大きく崩れてしまっていると言います。では、そんな中で私たちは何をすべきなのでしょうか。

Toshi

以前はレイヴなんかにも呼ばれて吹いてたんだけど、レイヴって森の中で電気使うでしょ? 結局、自然を荒らしてしまっているんじゃないかって思うんだよね。要はバランスなんですよ。“崩れる”ってことは、つまりバランスが悪いんです。科学一辺倒も問題だけど、かといって精神世界系に傾倒し過ぎるのも、やっぱりバランスよくないよね。人間ていうのは生きてるだけでどうしても自然を破壊してしまう存在なんだから、完全にそれを防ぐなんてことはそもそも無理。恐竜や動物がまさにそうだけど、生命っていうのは互いに食い合うことで自然界の中でバランスとってるわけですよ。だから僕ら人間も本来は食われなきゃいけない。災害で多くの方が亡くなってしまうのは確かに悼ましいことだし、僕もとても胸が痛みますが、でもそれが本来の自然の姿であることも確か。洪水が起きないようにと河に人工的な手を加えたりダム作ったりするけど、それでも洪水は起こってしまう。だったらそのダムって本当に必要だったの? ってことになる。地球に生命が誕生して何億年もの間、何度も大量絶滅があって淘汰が繰り返されているわけでしょ。ある生物学者の本によると地球の人類の適正数は3億人だっていうんですよ。マックスで 20 億人。いま 60 億人だから、すでにマックスの3倍でしょ。しかももうすぐ 100 億人になるって言われてますよね。あきらかにバランスが崩れてるんです。それも大きく崩れてしまっている。そんな中で僕たちができることって、“自然とともにある”っていう意識をもつことだと思う。意識することは何も森の中へ行かなくても、都会の真ん中でもできますよね。実際に山へ行くのもいいですけど、それよりもどこにいようと“自然とともにある”と意識することが大切なんだと思いますよね。それを忘れないようにしたいと僕はいつも思っている。都会の街にだって樹は生えてるわけですから。それが不自然に生えていたとしても樹は樹だし、その樹とツナガルことができれば、地面の土を通して遠くの森ともツナガレル。空気中には水蒸気があるわけだから、その水を通して自然とツナガルこともできる。都会にいようと田舎にいようと、意識することで生き物はすべてツナガレルんですよ。“意識する”ってけっして難しいことではないですよね。そして、みんながそういう意識をもつことで確実に世界は変わっていくはずだと、僕は思うんです。

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