会場で火を囲んでの結婚式は
カン違いも含めてシンクロだった
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全国で行われる“祭り”への出演や、ヒーリングコンサート、ディジュリドゥを使ったワークなどで日本全国をツアーする Toshi 小島さん。 Feel the Fuji Festival は、そんな彼にとっても非常に特別な意味をもつものだったようです。 Feel the Fuji Festival では、会場にいる誰もが同じ位置で参加・交流できる場として、7月 24 ・ 25 日の両日ともすべての出演者の演奏終了後に火を囲んでの“祭りの交流の時間”というのが設けられました。 Toshi さんが出演した 24 日には、この中で何と彼自身の結婚セレモニーが行われたのです。暗くなり始めた富士の地に鬼太鼓座のメンバーによる太鼓が鳴り、輪になった参加者たちの中央では火がパチパチと音を立てながら力強く燃え上がります。この日、彼らと初めて会った人たちも、まるで昔からの家族のように、 Toshi さんとパートナー・七海さんの新しい旅立ちを祝福しました。
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Toshi |
プロデューサーの柳瀬さんと初めて会ったのは 2004 年の2月頃なんですが、僕がいまのパートナーと出会ったのもちょうどその頃だったんです。柳瀬さんとはその後、僕が音開きをやらせていただいた5月のウエサク祭で再会。このときたまたま僕の結婚の話題になって、彼女の前の離婚の関係で入籍できるようになるのが7月 25 日なんです、なんて話したところ、だったらその日に富士で“祭り”を開くんで、出演しませんかって言うんですよ。その夜に火を囲んで結婚セレモニーもやりましょうって。信じられないような話でビックリしましたよ、さすがに(笑)。ほかにも僕たちのためにパーティをやってくれるっていう友達が何人かいたんですけど、どういうわけかすべてタイミングが合わなくてね。ところが Feel the Fuji Festival のほうは、トントン拍子に決まっちゃって。実は計算間違いで、実際には7月 22 日には入籍できたんですけどね。考えてみると、こんなカン違いも含めて、縁というかシンクロだよね。 |
まるで7月 24 日に富士で結婚式を挙げることがあらかじめ決められていたかのように、二人は出会っているわけです。その視点から見れば、セレモニーに参加した人にとってもそれは同じ。 Toshi さんを知る人も知らない人も、この日に彼らを祝福することがあらかじめ決められていたかのように、会場に来たとも言えます。7月 24 日から翌日の“時間をはずした日”にかけて、いつもより強力なシンクロの法則が働いているような実感を感じずにはいられません。その意味でも大変特別な結婚式だったと言えるでしょう。
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Toshi |
ああいう形の結婚式をするとは思ってなかったし、やっぱり嬉しかったですね。富士山で結婚式っていうのもなかなかできないしね(笑)。本当にありがたいと思いました。だって普通、結婚式やパーティといえば招待されたから行く、みたいな部分てどうしてもあるでしょ? 断るのも何だし、みたいなさ。ところが今回はそういう“付き合い”的な要素が一切ないところで、みなさんに純粋に祝福していただいているわけですからね。しかも、その日に初めて会った人たちからも。みなさんには本当に心から感謝したいと思います。 |
ライブでは小嶋さちほさんとも共演。一度、正式な形で一緒に演奏をしたいという思いはずっとあったようです。 |
Toshi |
彼女のことは4年ぐらい前から知ってて、同じコジマ同士“コジマーズじゃん!”なんて言いながら、一回ちゃんと演りたいねって話してたんですよ。それも Feel the Fuji Festival で実現しちゃいました。彼女主催のイベントで飛び入りゲストみたいな形で共演したことはありましたけど、オフィシャルな形では今回が初めてだったんです。ほかにも Feel the Fuji Festival 出演者では、牧野潤さんや真砂秀明さんとはウエサク祭で会っているし、僕が総合司会も務めた(笑)某イベントでは山根麻以さんやラブノーツのヴォーカル&フラのマギーさんと同じステージに立ってます。マギーさんはクリスタルヒーリングをやっている僕のすごく親しい友人の大親友でもあるんですよ。川井郁子さんも僕の友達の友達。最近はもう本当にこんなのばっかりですよ。すべてツナガッテルっていうか。 |

Feel the Fuji Festival って
すべてがユルくていいよね
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Toshi さんが主に使用する楽器は、オーストラリアの先住民アボリジニが精霊と交信するための道具として遥か太古の昔から使ってきた世界最古の木管楽器、ディジュリドゥ。この「シロアリによって空洞化されたユーカリでできた自然の産物」が奏でる、ヒトと大地と宇宙をダイレクトに結ぶかのような不思議な音には、五感を超えたあらゆる感覚を優しく包み込んでくれる“何か”があるようです。 Feel the Fuji Festival でも、時空を超越したようなトリップ感や、何とも心地よい癒しをおぼえた方は多いでしょう。
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Toshi |
ライブは気持ちよかったですね。僕がメインに使うのはディジュリドゥですけど、ライブでは歌も唄うし、今回は吹いてないけどネイティブアメリカンフルートも使います。笛とか歌に共通するのって“息”を使うということ。各地で演奏をしていると感じるんですが、この“息”をしやすい場所と、しにくい場所っていうのが不思議とあるんですよね。 Feel the Fuji Festival のステージはスッゴク息がしやすかった。呼吸が自然にできるというか。ステージの後ろに富士山があるっていうことはとくに意識しなかったけど、何か、ココは通り道って感じがする。海からの風が富士山を抜けて向こう側に行くっていうのかな。山梨県側にも同じようなポイントがあるんですよ。山根麻以さんと縁の深い例のピラミッドセンターがある辺りです。そこは富士山の裏鬼門にあたる通り道なんです。こういう場所で“時間をはずす”余裕ってすごく大事だと思いますよ。だからだと思うけど、 Feel the Fuji Festival って全体的にすべてがユルくていいよね。文化庁とか富士市とか教育委員会とか、協賛はカタイのに(笑)。何といっても静岡県がこういう“祭り”を主催してること自体が、スゴイことですよ。
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愛知県一宮出身の Toshi 小島さんは東京で生活した後、現在は倉敷に住んでいますが、静岡や富士には強い縁や結びつきを感じると言います。 |
Toshi |
30 代の半ばに僕は一度結婚してるんですけど、その相手は河口湖の出身。 Feel the Fuji Festival 会場の富士を挟んだ向こう側にあたります。当時は反対の山梨県側の富士山をしょっちゅう見てたわけです。僕の出してる2枚の CD を録ったのも伊豆。親しい友人がスタジオを構えてるんです。富士山は見えないけど、伊豆といえば富士のすぐ下ですからね。3年ほど前には、静岡スタジアムで行われたオーストラリア代表対日本代表のサッカーの試合のオープニングでもディジュリドゥを演奏させていただきました。スタジアムだから音にディレイがかかっちゃって、演奏する側としてはもうワケわからなかったんだけど、吹き終わったら3万人がスタンディングオベーション! いい体験でしたねぇ。ちなみにそのとき『君が代』を唄ったのは野口五郎さんでした(笑) |

かつて自然の一部だった人間は
“自然の恥部”になってしまった
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Toshi |
富士山って日本人にとって特別な存在って気がしますよね。いつでもクッキリ見えているわけじゃないということもあって、新幹線なんかから富士山がキレイに見えたときは、ラッキー! とかって思っちゃいません? 何かイイことありそう、みたいな(笑)。富士周辺だけでなく、東京からも見えるしね。富士見って地名もたくさんあるぐらいで。とくに意識してない人にとっても、知らず知らずのうちに富士山は特別な存在になってるんですよ。世界遺産になれなかったのは残念ですが。ゴミが多いのがその原因だという話を聞きますけど、それってすごくカッコ悪いよネ。富士山って世界中の人が知ってるだけに。“ゲイシャ、フジヤーマ、ハラキーリ”みたいな(笑)。富士山では不法投棄の現場や有力な手がかりを見つけて通報すると1万円もらえるそうですよ。そんなコトやらなきゃいけないってのも悲しいけどネ。会場へ向かうタクシーの中から見たけど、道路沿いの森の中がゴミ捨て場みたいになっちゃってる所も多いじゃないですか。木なんか枯れるちゃってるしさ。 |
確かに麓から会場へ至る道沿いは、けっして美しい木々に囲まれた場所ばかりではありませんでした。紙くずや空き缶はもちろん、使われなくなった電化製品が投棄されている場合もあります。とても残念なことです。利便性を求めてスピードを加速させ続ける人類にとって、決定的な何かが欠けているような気がします。 |
Toshi |
マヤ暦とか『 13 の月の暦』については僕も詳しくはないんだけど、“時間をはずした日”というような“余裕”をもつことがとにかく大事だと思うんですよ。“余裕”をもつことで、ゴミや環境に対する意識も変わってくると思うし。僕がいま住んでいる倉敷には、昔ながらの白壁の町並みを残した“美観地区”っていうのがあって、そこにはゴミひとつ落ちてない。ディズニーランドみたいにゴミを拾う係の人がいるらしいんですけど、逆にそれぐらいキレイだととても捨てる気になれないんですよね。富士山に限らず、もういいじゃん、自然を汚すのはって思う。開発だってもう十分やったじゃん。とはいってもいまさらゴミを出さない生活をしろったって、それは無理な話。原始の時代に戻れったって無理でしょ。だったらどうするか。単純な話、必要以上のコトをしないようにすればいいワケですよね。オーストラリアのアボリジニにはつい二百数十年前まで所有の概念がなくて、争いのない平和な生活を自然とともに営んでいました。おそらくかつては地球上すべてがそうだったと思うんです。とくに意識しないでも、人間は当たり前のこととして自然と共存していたんです。自然の一部としてね。ところがいまや人間は“自然の恥部”になってしまっている。自然はコントロールできるという馬鹿な幻想を抱いてしまった人間の愚かさですよね。壊してしまってもまた復活させればいいという考えもありますが、そういうコトじゃないだろって思う。確かにいずれは復活するんでしょう。でもそれには自然界の有機物が土に帰る何十倍、何百倍という、恐ろしく長い年月を要するわけです。日本って何か目先の利益ばかり追求して、大事なことを後回しにする傾向があるじゃないですか? 例えばドイツなんかは企業が環境保護にしっかり取り組んだりしてるでしょ。企業だから利益追求は当然するんだろうけど、必要以上に追求する必要はないわけで。日本人だって元々は環境のことを考えていた民族だったはずなんだからさ。僕はコンサートで全国へ行きますけど、田舎の人ってやっぱり都会化したがる傾向があるよね。確かに都会の便利な生活を見れば、それもわからないでもない。もうこうなったら都会に住んでる環境志向の人と、総取り替えするとかさ(笑)。僕もしばらく東京に住んでいましたが、 39 歳のとき“もうあかん”と思って一宮に帰ってきたっていう経緯があるからね
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なるほど確かに自然環境を守るのは最重要課題ですが、かといっていまさら生活の価値観をひっくり返すことはできません。問題は、人間が自然から遠くかけ離れた存在になりすぎてしまっていることにあると言えます。アボリジニの“自然とともに生きる”考え方を敬愛する Toshi さんは、地球上のバランスがいま大きく崩れてしまっていると言います。では、そんな中で私たちは何をすべきなのでしょうか。 |
Toshi |
以前はレイヴなんかにも呼ばれて吹いてたんだけど、レイヴって森の中で電気使うでしょ? 結局、自然を荒らしてしまっているんじゃないかって思うんだよね。要はバランスなんですよ。“崩れる”ってことは、つまりバランスが悪いんです。科学一辺倒も問題だけど、かといって精神世界系に傾倒し過ぎるのも、やっぱりバランスよくないよね。人間ていうのは生きてるだけでどうしても自然を破壊してしまう存在なんだから、完全にそれを防ぐなんてことはそもそも無理。恐竜や動物がまさにそうだけど、生命っていうのは互いに食い合うことで自然界の中でバランスとってるわけですよ。だから僕ら人間も本来は食われなきゃいけない。災害で多くの方が亡くなってしまうのは確かに悼ましいことだし、僕もとても胸が痛みますが、でもそれが本来の自然の姿であることも確か。洪水が起きないようにと河に人工的な手を加えたりダム作ったりするけど、それでも洪水は起こってしまう。だったらそのダムって本当に必要だったの? ってことになる。地球に生命が誕生して何億年もの間、何度も大量絶滅があって淘汰が繰り返されているわけでしょ。ある生物学者の本によると地球の人類の適正数は3億人だっていうんですよ。マックスで 20 億人。いま 60 億人だから、すでにマックスの3倍でしょ。しかももうすぐ 100 億人になるって言われてますよね。あきらかにバランスが崩れてるんです。それも大きく崩れてしまっている。そんな中で僕たちができることって、“自然とともにある”っていう意識をもつことだと思う。意識することは何も森の中へ行かなくても、都会の真ん中でもできますよね。実際に山へ行くのもいいですけど、それよりもどこにいようと“自然とともにある”と意識することが大切なんだと思いますよね。それを忘れないようにしたいと僕はいつも思っている。都会の街にだって樹は生えてるわけですから。それが不自然に生えていたとしても樹は樹だし、その樹とツナガルことができれば、地面の土を通して遠くの森ともツナガレル。空気中には水蒸気があるわけだから、その水を通して自然とツナガルこともできる。都会にいようと田舎にいようと、意識することで生き物はすべてツナガレルんですよ。“意識する”ってけっして難しいことではないですよね。そして、みんながそういう意識をもつことで確実に世界は変わっていくはずだと、僕は思うんです。
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