コズミック・ダイアリーの使い方Ⅱ


コズミック・ダイアリーの使い方
 月を感じます。そして、さまざまな自然の周期を見つけます。


「コズミック・ダイアリー」の月の絵で、毎日の月の満ち欠けがわかります。
満月を見て楽しみ、月のエネルギーを感じてください。月光浴。
そういうことによって、海の生物が生きているリズムを感じることができます。
そして、海から上がった、陸の生物のリズムを。そして、植物のリズムを。

月を何時間も見つづけたことがありますか?

月を見ることによって、
異国に恋人がいれば、人は空間を超えることができるかもしれません。

月を見ることによって、
万葉集の詩を知っていれば、時間を超えることができるかもしれません。

そして、月を見ることによって、
月の影響を受けているすべての生命の律動を感じ、そこに「詩」を、感じるようになります。
詩人や文学者のように。

TIME IS NOT MONEY.
TIME IS ART.

満月、新月を中心に、月の満ち欠けの29.53日の周期が、
コズミック・ダイアリーから感じることができます。
月の出の時間や、月光の変化、引力の影響を感じることによって、
日本人が共有していた、月を通して自然の摂理を感じる文化を再生させていきます。

また、ひとりひとりの生体が持っている細胞や遺伝子が育まれた宇宙の周期を、
わかりやすい月の周期から感じていきます。

13の月の暦には記されていなかった、月の満ち欠けの周期を「コズミック・ダイアリー」に初めて入れたときに、
ホゼ・アグエイアス博士は、これで、13の月の暦が完璧になった、と言ってくれました。
それは、28日、13か月のダイアリーに日々の変化を刻みながら、
太陽と月の周期を、人間の意識によって調和させ、統合していくことになるからです。

ホゼに言わせると、惑星的な観点から見ると、
マヤ以外の文明では太陰暦を発達させました。
マヤ文明というのは、太陽暦というか、太陽意識というものを発展させました。
月的なものと太陽的なもの統一するということが進化の目的となっています。
その統一がなされる代わりに、マヤ文明が破壊されてしまいました。

今、日本のアマテラスを中心とした太陽意識と、
月の文化を伝統的に持つ日本人の魂において、
月的なものと太陽的なもの統一するということが進化の目的なのです。
そうであれば、この28日周期のカレンダーを使いながら、
「時間は、オーガニック・オーダー」という、宇宙の成り立ちから、
自然を感じる事によって、日本人の進化の可能性は開かれます。


「ツオルキン」

マヤの人たちは、17種類、あるいは19種類のカレンダーを使っていたといわれています。
金星の周期からつくったカレンダーもあれば、187万2000日という太陽黒点の大周期も知っていました。
そして、地球の公転周期も、望遠鏡もない時代に、現代科学と同じレベルで精確に把握していました。
現代の科学の視野からは、不思議に思えるかもしれません。

そのマヤの暦に、「ツオルキン」と呼ばれる、マヤの神官たちが使っていたマヤの神聖暦があります。

時間は四次元。四次元は、空間(という三次元)を取り囲む心の状態、精神圏の状態と考えていたようです。
ツオルキンの260日は銀河の周波数と呼ばれ、心の問題、精神をつかさどるカレンダーとして、使われてきました。

マヤの時間の概念からすると、
この260は、260日だけじゃなく、
マヤの長期周期と呼ばれる13バクトーン(394-5年)、
つまり5125年を表しています。

260日の表が、5125年の歴史を表わし、
その1日目のところが、BC3113年。
都市文明発祥の地、ウルク(イラクの語源)で、今回の文明が始まったことを
遺跡の発掘に行ったわけでもないのに過去の事ですが、「預言」しています。
AD435-830に生きていたマヤの人たちが、遺跡の発掘などしていないのに、
正確に言い当てていたわけです。そして、260日目、最後の日が2012年に対応しているカレンダーです。

この260日周期は、
5125年周期であり、
2万6000年周期であり、
また10万4000年周期も表わしています。

時間のフラクタルな構造そのものなのです。

マヤ人というのは、今も生きていますが、
第10バクトーンの時代、AD435-830に生きていた人々のことを意味しています。
歴史の教科書では、古典マヤと呼ばれる時代のマヤの文化を、ホゼ・アグエイアス博士や、
13の月の暦でのマヤの叡智では、マヤの真髄だと考えています。

忽然とマヤの遺跡を残していなくなった人たちのことをさしています。
それ以後のマヤ文明は、アステカの影響を受け、いけにえの文化が発達し、
美術史的には、その芸術性も、かなり低く、歴然とした差があります。

第10バクトーンのマヤの叡智が、1952年のパレンケの碑銘の神殿の中から、
パカル・ヴォタン王の墓が発見されたことから甦ってきたのです。
この本の表紙になっている、パカル王の石棺の蓋の絵の周囲に描かれた太陽の紋章や、
碑銘の神殿と名づけられているように、このピラミッドのマヤの文字の解読から、
この時期を選んだかのように明らかになってきたマヤの叡智をここでは、扱っています。
伝統的なマヤ暦、という言い方で、あるいは古代マヤ暦という言い方で、
受け継がれてきたものを通常はそれが本流と考えますが、
1500年代のスペイン人によるマヤの本の焚書を含めて、伝わってきたものが
本流だとは限らないわけです。
消えてしまったマヤの人たちの叡智が、第10バクトーンに存在していました。
その深い意味が1952年から、必要な時代に今、甦ってきたというのが
この本で伝えているマヤの叡智です。
継承してきたものが本物だと考えるのは、マヤについては間違いです。

この本で呼ぶ「マヤの叡智」とは、21世紀の人類にとって、
地球人とって、宇宙のすべての存在にとって、何が重要かを伝え、ともに生み出していく
叡智をさしています。