柳瀬宏秀    KIN 12 黄色い水晶の人

 

環境意識コミュニケーション研究所代表。1997年に「13の月の暦」の普及についてホゼ・アグエイアス博士より相談を受け、「コズミック・ダイアリー」を企画、10年間執筆している。3年前から、「コズミック・ダイアリー・セミナー」を全国で始める。

1995年(震災49日目)、歌舞伎とクラシックによる震災チャリティーコンサートで、祭りの意味に目覚め、1999年「時間をはずした日の祭り」を呼びかけ、その呼びかけに共感した多くのアーチスト達が、毎年、7月25日(時間をはずした日)に、地球の様々な場所で祭りを生み出している。

 

20年間電通にて、コピーライター、CMプランナー、映像プロデューサーとして働き、5年前に退社し、現職。CMプランナーとして、JT、花王、NISSAN、キッコーマン、サッポロビール、コナミなど約20社のCM制作。

映像プロデューサー時代は、日本初の大型タイアップであった映画バットマンと企業とのタイアップやスピルバーグのタイニーチューン・アドヴェンチャーの日本でのトータル・プロデュース。テレビドラマ『ガラスの仮面』、映画「子連れ狼――この小さき手に」「走れメロス」「一杯のかけそば」ビデオ『有森裕子--光り、輝くために』、ビデオ『REBIRTH--再・誕生』などをプロデュース。

 

2002年から2003年にかけて、満月ごとに17回連続、自然のリズムを取り戻すために、「京都、満月祭り」「満月の十三祭り」を企画プロデュースする。仁和寺や上賀茂神社、平安神宮などで、喜多郎、UA、BEGIN、梅若六郎、山口小夜子など、賛同するアーチストと、祭りの空間を生み出す。その間、日本文化を見えないものを感じるという観点から見直す「日本文化の心に触れる会(旧新月の会)」を主宰。梅若六郎、河合隼雄、千宗屋、野村万之丞、黛まどかなど、日本文化の担い手の方々とセルリアンタワーの能楽堂で連続して対談する。2004年の時間をはずした日には、富士山を感じる心を取り戻す「FEEL THE FUJI FESTIVAL」を松居慶子、川井郁子、ラブノーツ、山根麻以、鬼太鼓座など11組のアーチストと生み出す。

 

2005年の3月2日、ホゼ・アグエイアス博士と日本人21人とメキシコのパレンケの碑銘の神殿の中に入り、1952年発見されてから74回目の260日周期の日に、パカル・ヴォタンの墓の石室に降りる。一昨年11月には、「カレンダー・チェンジ」について河合隼雄文化庁長官とホゼと鼎談、講演などを行う。現在、日本でのホゼ・アグエイアス博士の唯一の代理人である。

 

 

環境とは?環境意識とは?を問い直し、環境意識の醸成のための「環境意識コミュニケーション」という分野の確立に向けて活動。KBSで30分の対談ドキュメンタリー番組がつくられるなど、テレビ、ラジオ、雑誌、新聞に多く取り上げられる。最近では「マリークレール」のプラネットキャンペーンでマヤ文明について鶴田真由と対談。「25ans」で、「月が人に与える影響、その威大なるパワーについて」インタビュー記事仲秋には、TOKYO FMの新番組、「ハミングバード」出演や、J-WAVEの「NISSAN MURANO TOKYO LABORATORY」小山薫堂さんと対談。月を語れる第一人者と評価されています。最近の著書「マヤの叡智と日本人の魂の融合」。